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広島高等裁判所岡山支部 昭和61年(う)59号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金二〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は検察官宇陀佑司が提出した控訴趣意書(作成者検察官堀川和男)記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人田渕浩介作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、原判決は、

「被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和五九年四月二日午前三時四二分ころ、大型貨物自動車を運転し、静岡県清水市八木間町地先東名高速道路上り線の東名興津バス停留所内の加速車線から発進し、名古屋方面から、東京方面に向け、本線車道に進入するにあたり、自動車運転車としては、右後方の本線車道の交通の安全を十分確認し、本線車道を後方から接近して来る車両の進路を妨害しないように本線車道へ進入し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、右側バックミラーで右後方の本線車線を進行して来る車両の光を認めながら、同車と未だ相当距離が離れているものと即断し、右後方の安全を十分確認せず、漫然時速約四五キロメートルで加速車線から、本線車道の走行車線に進入した過失により、折から、同町地先東名高速道路上り線東京起点一四二・二キロポスト付近の走行車線を同一方向に向け、自車の後方から接近して来たA(当四三年)運転の大型貨物自動車をして、自車の後部に追突させ、よって同人に対し脳挫傷等の傷害を負わせ、同日午前四時三七分ころ、同市谷津町地先東名高速道路上り線一四二・一キロポスト付近において、右傷害により死亡するに至らしめたほか、自車運転席後部寝台に同乗中のB(当三九年)に対し、加療約七日間を要する頸部捻挫の傷害を負わせたものである。」

との公訴事実に対し、被告人車の本線走行車線への進入地点を司法警察員福井義男作成の昭和五九年四月五日付実況見分調書添付の交通事故現場見取図の③であったと認定し、被告人車が③から追突地点まで走行するのに一二一・五メートル、時間にして一〇秒間もあったのであり、しかも被告人はその手前②から約六〇メートルにわたり本線車道に進入するための合図を継続して出していた事実、A車は被告人車が③のときその約一一六・五メートル後方にいた事実を認定し、これらをもとに、自動車運転車は、特段の事情のない限り、他の自動車運転者が状況に応じて適切な行動をとることを信頼して行動することが許されるとの「信頼の原則」に鑑みれば、A車は追突地点まで二三八メートルも走行するうち被告人車を認め得て容易に減速あるいは追越車線への進路変更の措置をとり本件追突を十分さけ得たのであるから、被告人は、A車に対し右の措置を期待して本線車道へ進入することが許されるものというべく、被告人がA車に右結果回避の措置を期待して両車間に相当の距離があると考えて本線車道に進入した点に過失ありとすることはできない旨の判示をしている。しかし、本件は、被告人が③で被害車両を発見したときに、そのまま本線内に進入すればA車と衝突する危険が予想され、自動車運転者としては右進入をさし控えるべき注意義務があったのであり、にもかかわらず被告人はこれを怠り、しかも、法の定める最低速度五〇キロメートル毎時にも満たない速度で本線内に進入したものであって、被告人に過失があったことは明らかであり、この点に関し原判決は、事実を誤認し、さらに、本件の場合、A車に優先通行権があることを看過し、安易に信頼の原則を適用したことは刑法二一一条の解釈適用を誤ったもので、これらが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから破棄を免れないというのである。

そこで記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討すると、起訴状記載の日時場所において被告人運転車両にA運転車両が追突し、同人が死亡し被告人車の同乗者が負傷した事実が認められるところであるが、その際の被告人の過失の有無について検討すると、前示司法警察員作成の実況見分調書、原審及び当審証人C、当審証人福井義男の各証言、静岡県警察本部長作成の検査結果回答書並びに被告人の原審及び当審公判廷における供述、被告人の検察官及び司法警察員(二通)に対する各供述調書によれば、被告人は、右実況見分調書交通事故現場見取図①(以下、単に①と表示し、②以下もこれに準じる)で小用のため二、三分停止したのち、本線車道に入るため同所を発進し、六四・八メートル東方の②で右方向指示器を点滅させ、更に五九・二メートル進んだ③を時速約三〇キロメートルで走行中、右側のサイドミラーに後方のA車の前照灯が反射するのを見たが距離的に遠く感じたので大丈夫と思ってそのまま加速して本線走行車線に進入して行き、右③から九六・五メートル進んだ④で相手が走行車線を急接近してくるので危険を感じてすぐ(時間にして二、三秒後に)、④より二五メートル東方ので追突されたが、右追突時の被告人車の速度は約四六キロメートル毎時であったことが認められる。

原判決は被告人車の毎時の速度が、右③で三三・四キロメートルであり、追突された時は約五四キロメートルと認定しているが、右計算は、被告人車が追突された後に進行停止した実測距離と、同車のタコグラフ上の距離とに差異があることから、タコグラフに一定の誤差があると考えて算出したもののようであるが、これは追突の衝撃によってタコグラフの計器に異常(針とび)をきたすことを無視した独自の計算であって何ら根拠がなく、採用しがたい。

ところで原判決は、被告人が③地点で本線内に進入しようとした際、被告人車とA車との距離は約一一六メートルあったのであり、また、被告人は③に至るまで約六〇メートルにわたって方向指示器によって本線内進入の合図を継続していたのであるから、右の状況下においては、A車が減速または進路変更の措置をとるものと信頼して本線内に進入することができる旨判示し、被告人の本件運転方法について、いわゆる信頼の原則を適用して、無罪の言渡しをしていることは判文上明らかである。

しかし、本来信頼の原則は、交通法規にしたがって進行する車両の運転者は、右法規に違反して進行する車両の存在までも顧慮して運転すべき注意義務はないというものであって、自ら交通法規に従わない運転者が、自己の落度を補完するような運転方法を他人に期待しうるものでないことはいうまでもないところである。

これを本件についてみれば、被告人は本来進入すべきでないバス停留所の車線に入り、その加速車線から本線内に進入しようとしたのであり、しかも、深夜の高速道路上で、法定速度八〇キロメートルあるいは若干これを上廻る高速車両があることは当然予測できたのであるから、本線車道を走行する車両の進路を妨害しないように後方車両の速度及び距離に十分な注意を払い、安全を確認したうえで本線内に進入すべき注意義務があるのは当然である。しかも、被告人の供述によれば、右加速車線内左側には他の駐車車両があって十分な加速がえられず、法定の最低速度毎時五〇キロメートルを大巾に下廻る約三〇キロメートル毎時の速度で本線内に進入しようとしたという(前記③地点)のであり、同地点から加速して追突された際(③から一二〇メートル余り東方)の速度も約四六キロメートルに過ぎなかったのである。

しかるに、被告人は右③地点で、サイドミラーに反射する前照灯の光によって、A車の走行に気がついたのに、同車との距離及び速度について適確な把握を怠ったまま、しかも、前記低速で本線内に進入したのであって、その時、A車は時速約八五ないし八六キロメートルの高速で③地点西方約一一六メートルの地点から急速に接近(約五秒で③地点を通過する)していたのであるから、右のような低速でA車の前面に進入するのは、まさにA車の進路を妨害する危険な運転方法であるといわざるをえないのである。したがって、被告人には前記注意義務の懈怠が存在したと認定せざるをえない。

原判決は、高速道路において通常要求される車間距離が一〇〇メートルであることを根拠として、被告人が進入を開始した時点でA車との距離が約一一六メートル余りあったから危険はない旨の認定をしているが、右の車間距離は、高速道路の同一車線をほぼ等しい速度で走行する前後車の間隔をいうのであって、換言すれば、そのような場合でも一〇〇メートルの間隔がなければ危険であることを意味するのであり、本件のように加速車線から低速で走行車線に進入するような場合にあてはまるものではない。むしろ、右のように通常の走行においても一〇〇メートルの車間距離が要求されることを考えると、本件の状況下では一一六メートルの間隔は極めて危険な距離であるといわざるをえないのである。

なお、原判決がいう信頼の原則について付言すると、原判決は、A車は被告人車が右折の合図をしながら本線内に進入しようとしているのを認めたはずであるから、当然減速するか進路を変更すべきであるということを前提としているようである。しかし、高速道路の本線車道を進行していたA車は被告人車に対し優先通行権を有していたことは道交法上明らかであり、A車が、加速車線上を右折の合図をしながら低速で進行している被告人車を認識したとしても、同車が自車の進路を妨害するような方法で進入して来ることまで予測して進行する義務はない筈である。そのうえ、被告人車は③地点から徐々に加速車線と本線との破線を超えて進入して行った状況が認められ、しかも、深夜の状況下においては被告人がそのまま本線内に進入するのか、A車に進路を譲るのかを適確に判断するのは容易ではなかったと認められるのである。もちろん、A車が被告人車の動静に十分な注意を払っていれば、事故回避の可能性は否定できないかもしれないが、それは本件事故の発生についてA車にも過失があるというに過ぎないのであって、A車に事故回避を期待して信頼の原則を適用するのは誤りである。

したがって、本件について、いわゆる信頼の原則を適用して、被告人に無罪の言渡しをした原判決は、事実を誤認し、ひいては法律の解釈適用を誤った違法があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事している者であるが、昭和五九年四月二日午前三時四二分ころ、大型貨物自動車を運転し、静岡県清水市八木間町地先東名高速上り線の東名興津バス停留所内の加速車線から発進し、名古屋方面から東京方面に向け、本線車道に進入するにあたり、右側サイドミラーに反射する前照灯の光で右後方に本線車道を進行して来るA(当時四三年)運転の大型貨物自動車を認めたが、このような場合、自動車運転者としては、窓から首を出して同車の速度、同車との距離関係を把握し、右後方の本線車道の交通の安全を十分確認し、本線車道の後方から接近して来るA車の進路を妨害しないように本線車道へ進入し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、単に右サイドミラーで見ただけで右距離関係や双方の車両の速度関係を十分把握することなく、未だ相当距離が離れているものと即断し、右後方の安全を十分確認せず、漫然、時速約三〇キロメートルで加速車線から本線車道の走行車線に進入した過失により、同町地先東名高速道路上り線東京起点一四二・二キロポスト付近の走行車線上において前記A車をして自車の後部に追突させ、よって、同人に対し、脳挫傷等の傷害を負わせ、同日午前四時三七分ころ、同市谷津町地先東名高速道路上り線一四二・一キロポスト付近において右傷害により死亡するに至らしめたほか、自車運転席後部寝台に同乗中のB(当時三九年)に対し、加療約七日間を要する頸部捻挫の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は、被害者ごとに、いずれも刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の重い被害者Aに対する罪の刑で処断することとし、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金二〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは同法一八条を適用して金二五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、原審及び当審における訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 齋藤昭 裁判官 武部吉昭 原田敏章)

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